ブログ

身近にある小さな非日常!ゴッホ展 「家族がつないだ画家の夢」 続編

 

「家族がつないだ画家の夢」 続編

 

☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆💛💛わずか37歳で自ら命を絶った後

そして

彼の弟テオが6か月後に亡くなった後

一体誰の努力で、どのような形で

彼の芸術性を高め

美術館という形で世に残していったのか

順を追って紐解くシリーズ続編です💛💛☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 

 

「ゴッホ生誕=ズンデルト」

フィンセント・ファン・ゴッホ は、1853年3月30日

オランダ南部、ベルギーと国境を接する北ブラバント州の

ズンデルトの村で

テオドルス・ファン・ゴッホ(通称ドルス、1822年-1885年)

アンナ・コルネリア・カルベントゥス(1819年-1907年)との

間の長男として誕生しました。

当時、父ドルスは、オランダ改革派の牧師であり

1849年にこの村の牧師館に赴任し

1851年アンナと結婚。

 

両親の間には

フィンセントの後に

長女アンナ(1855年生)

次男テオ(1857年生)

次女エリーザベト(1859年生)

三女ヴィレミーナ(通称ヴィル、1862年生)

三男コルネリス(通称コル、1867年生)が生まれました。

 

 

6人兄弟の中でも次男、弟テオとの仲は

村に二人の彫像があることでもわかるように

特別のものでした。

 

 

 

 

~ゴッホと家族の年表~(ゴッホと弟テオの関係)

🔶1853年/03/30 ゴッホ誕生

🔶1857/05/01    弟テオ誕生

   2人はオランダ南部の村で牧師の父のもと

   厳格な家庭で育つ。

🔶1869/ 美術商グービル商会に雇われる

   ゴッホ19歳

   テオは美術商グービル商会で15歳からキャリアを積み

   パリの支店長まで出世。

   彼の扱う美術によりゴッホの芸術観に

   影響を与えた。

🔶1876/グービル商会解雇される

   ゴッホの情熱的・極端な性格から

   環境になじめず解雇される。

   精神的に不安定となる。

   テオとの仲もギクシャク しかし

   その後、仲直り。 

🔶1880/ゴッホ27歳 弟テオの勧めで画家になることを決心

   テオは最初から兄の画家としての才能を見抜いていた。

🔶1881/テオから生活費の援助を受け始める

   ここから10年間テオは心身ともにゴッホを支える。

🔶1886/テオを頼りパリに移住

🔶1888/南仏アルルに住む

   最初の発作で耳を切る。

🔶1889/04 テオがヨーと結婚

   5月ゴッホ自からサンレミ療養院に入院。

🔶1890/01テオとヨーの長男ウイレム誕生

   5月ゴッホその息子に会う➡

   オーベールシュルオワーズに移住

   7月27日 自殺

   7月29日 テオに看取られ37歳で没

                      🔶 1891/01 兄ゴッホが亡くなってから6か月後

                        弟テオ34歳で没

 

 

テオは

ゴッホの画家人生10年の間、精神的、金銭的など

全般にわたって兄ゴッホを支えてきたのだが

テオはゴッホの死後6か月後に

後を追うようになくなってしまった!!😢

 

テオの死後

誰が主にゴッホの画業の仕事を引き継いでいったのか?

どうなっていったのか知りたくて…

皆さんももワクワクしませんか?💛💛😍

 

続編その2で紐解いていきましょう!!❤💫

 

関連記事

PAGE TOP