ブログ

身近にある小さな非日常!ゴッホ展 「家族がつないだ画家の夢」 続編その3

 

 ゴッホの甥 ウィレムにより。。。

また、次世代に続く家族の連携で。。。

ゴッホの100 年後の夢は叶った。  

 

 

 

1925年ヨーが62歳で亡くなると

ヨーを支えていた息子ウィレムが後を継ぎ

今後は「ゴッホの作品を一切売却しない!」で

(作品を売れば莫大な収入が期待されたが)

「ゴッホの作品を多くの人に鑑賞してもらう

環境を整える」方向へと舵を切った👏👏👏

 

^_^o .。.:*☆(❁´◡`❁)☆*: .。. o^_^

ィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ

愛称エンジニア、1890–1978

 

 

 

 

テオとヨーの息子でフィンセントの甥。

フィンセントは彼の誕生を祝って

《花咲くアーモンドの木の枝》を描いて贈った。

1890年サンレミ療養時に描きいた油彩画。 

 

                 ↓          ↓ 

 

 

ウィレムはフィンセントの多くの作品に囲まれて育ち

エンジニアの職に就いた。

 

彼がファン・ゴッホ家のコレクションに深く関わるようになるのは

1945年以降のことである。

ヨーの死後数年経つと作品販売を止め

一家のコレクションが散逸せず保持されるよう尽力した。

 

1960年にフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し

コレクションの大部分の所有権を財団に移管。

財団は、美術館に膨大なコレクションを永久貸与することを

条件にアムステルダム市から土地の提供を受け

オランダ政府が美術館を建設。

1973年に国立フィンセント・ファン・ゴッホ美術館

(現ファン・ゴッホ美術館)の開館へとつないだ💛💛

 

ゴッホ作品の保存に道筋をつけたウィレム

後を子供たちに託し1978年に89歳で亡くなった😂

ウィレムに続く家族  ↓  ↓

 

 

 

ウィレムの死後次の世代に受け継がれ

1994年に民営化された後も美術館には大勢の人が訪れ

現在も作品の所有権は財団が持ち管理展示を行っている。

 

100年後の人々の心に響く絵を描きたいという画家の夢

こうして家族の力で未来に続いています💛💛💛

 

次回は最終回です。

ゴッホの作品を時代別にまとめてみます。

お楽しみに!!

 

*文化庁 ゴッホ展の紹介を参考にしました。

 

 

関連記事

PAGE TOP